冷花伝 #025 九歳の誕生日

仙町録によると、帥升が接見した少女の名は「芽込羅(めこめら)」と云う。文字は借字ではなく筐縛(きょうばく)である。借字なら一文字一音なので「めこら」と鳴ってしまう。所謂(いわゆる)音写(おんしゃ)の原法であるが、筐縛は文字を筐(はこ)と見做して音を納める。ここは教壇ではないから詳しい語りは控えるが、言(い)いたい言(こと)だけを云うと、音(おん)の「めこめら」とは言霊(ことたま)だ。そして文字の「芽込羅」は納音之筐(なっちんのはこ)として働く。それでは此の段で「納音筐(なっちんきょう)」を述べた理由であるが、冷花九歳の語りをする為だ。と云っても、冷花九歳の一年間を語るのではない。九歳誕生日の出来事のみである。その日、冷花の家に冉(なみ)族の仙女が訪ねて来た。当然のことだが、甲子にとっては見知らぬ女である。「私は城島(きじま)に住む舟会(ふなえ)と申す者ですが、一月(ひとつき)ほど前に菜田(なた)の地神(じがみ)に会いまして、娘様のことを聞きました。私の一族に伝わる伝説が在りまして、もしや娘様が其話(そわ)に関係されるかと思い、参じました」ここまで聞いて甲子は女の言葉を遮(さえぎ)って「会わない方が良いと思うのですが」と言う。仙女は驚いた様子もなく「それでは日を改めましょう」と言って帰ろうとした。そこで冷花の声が「その小母(おば)さん、また来るんだったら今で良いよ」と聞こえてくる。仙女は微笑んで「芽込羅」と呟いた。小さな声だったが冷花には聞こえたらしく「違うよ」と大声で返した。それから仙女と冷花は三刻ほど話し込んだが、一刻あたりから母が加わり、二刻あたりからは父も加わった。冷花はよく喋る子だが、珍しく舟会の話を熱心に聞いていた。して其の結符だが、舟会は「冷花が昴女であると益々思い込み」冷花は「自分は昴女ではないと確信を得た」のであった。ところで舟会が住んでいる城島とは、今の淡路島である。そして作者の頭にある多戸(たんと)でもある。それから作者として言っておかねばならぬ事がある。舟会が「芽込羅」と囁いた時、冷花は「めこめら」と云う言葉を知らなかったのである。しかし其れが「昴女」のことだと直感したのだ。そして此の日は辰月の一日(ついたち)、冷花が九歳になった誕生日である。舟会が冷花に音の「めこめら」を、筐の「芽込羅」に入れて贈った日なのである。

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