冷花伝 #032 舟会の涙

冷花十歳の未月13日、舟会がやってきた。冷花は「待ち構えていた」と表現するのが相応しい。この二カ月、母にも熱心に質問をしていた。単なる知識欲ではなく、自分が観たものの解明である。それは、冷花が尊霊に語りかけられ続けてきた理由が、芽吹いて行くことでもあった。冷花の一声「小母(おば)さんが言っていた那輝羅(なきら)さんは何処に居るの」いきなりの質問に舟会は少し驚いたが「神界ですよ」と端的に答えた。すると冷花は不思議そうな顔をして「幽霊になって彷徨ってるんじゃないかな」と言う。舟会は一瞬戸惑ったが「いいえ伊佐那輝羅は黄泉国に居ます」と、落ち着いて答えた。すると冷花から意外な話が出た。「何季(いつ)の事かは分からないけど、この辺(へん)の幽霊が那輝羅さんのことを言っていたようなの。大昔に自分たちの村を造った御先祖様だって。村を造ったら直ぐに居なくなったそうだけど、彼方此方(あちこち)の幽霊が同じ言(こと)を言ってるそうだよ」ここで舟会は不機嫌になって 「彼方此方(あちこち)って、遠い処もあるの」 と質問をする側になった。ここで注釈を入れておくが、冷花が幽霊と呼ぶのは尊霊のことである。「冷花は遠くへ行ったことはないけど、世界中を観てきた幽霊が居て、書に記(しる)しているんだって。母さんからも聞いたし」と言いながら甲子の方を見た。舟会は黙って聞いていた。「その書は菜田(なた)にあるそうだけど、冷花も大人になったら行って読みたい。其の中に小母さんが言っていることと同じものもあると思う」ここで舟会は穏やかな表情になって「やはり冷花は昴女ですね」と小声を漏らす。すると透(す)かさず「違うよ。冷花は聞いた話を言っているだけだから。そんなことで昴女だなんて思ったら変だな。そう云えば、小母さんが住んでいる城島(きじま)のことも詳しく書いてあるそうだよ。冷花が赤ちゃんの頃、幾つかの尊霊界が壊れそうになったんだって。それを助けてくれた龍神が城島のことを言っていたそうだよ」ここで舟会は厳しい表情になって「その話、教えて欲しい」と、やや乱れた声で言った。その後も冷花は喋り続け、舟会の質問に答えた。ほぼ一刻の独演だったようだが、それを母は真剣な眼差しで見守っている。そして舟会の目からは、幾度となく涙が流れていた。

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