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鯉冥士の物語 #77

ところで死神とは生物(いきもの)なのだろうか。へんな理屈を捏ねるようだが、生神(いきがみ)と死神を関連語だと仮定する。すると生神が主に「優れた人間」を指すから、優れた人間が死んで死神になった。と云うことになる。ならば人霊神と同じなので、御尊霊のことだ。もし御尊霊ならば、死が訪れる折のみならず、常に見守ってくださる。結局、人霊神だと云うことになってしまう。それでは言葉遊びはこれくらいにして。鯉冥の体験談へ話を戻そう。

鯉冥士の物語 #76

死神って何者だろう。そんなこと考える人は少ない。いや、多いのかもしれない。印象としては「死神に遭遇すると死が訪れる」若しくは「死が訪れるから死神に遭遇する」こんなところだ。しかし死神が来ようとも来なくとも、人には死が訪れる。だから死が訪れることに対して、死神は必要がないのだ。そう思うのである。ところが鯉冥によれば、死神は必ずやって来る。それが死神と会話した結論だったのだ。

鯉冥士の物語 #75

鯉冥は、地平線の見える野原に立っていた。そんな土地は現実ではない。夢の中で「現実ではない」と言えば違和感があるかもしれないが、鯉冥にとっての夢中は、魂から観た世界なので、信頼性のある現実である。それを再認識して頂きたい。つまり既知の土地としては、在るはずのない景色なのである。其の野原の向こうに人が3人居た。一人は立って、一人は座って、一人は寝そべっていた。鯉冥は近寄って行き「此処は何処」と聞いた。「死神だよ」と寝そべっている人が答えてくれた。「おじさんが誰かじゃなくて、此処が何処かを知りたいんだ」と鯉冥は改めて聞いた。すると座っている人が「此処が死神なのだよ」と念を押すような発言をした。

鯉冥士の物語 #74

鯉冥士の働きは、地球政治に大きく貢献する。それを正確に知ってもらうには、予備知識を伝授せねばならない。それでは先ず、政治とは無関係に思われる言葉「死神」から始めよう。民間信仰による「死神」の概念は、地方によって違う。しかし大凡(おおよそ)、人の考えることは似ている。鯉冥士も人ではあるが、夜毬には実体験があった。夢中7歳の秋、鯉冥は生死を彷徨(さまよ)った。そして死神に遭う。

鯉冥士の物語 #73

話は逸(そ)れるが、皇帝について述べておく。皇帝の最も大切な使命は「暦」を作ることだ。それは本文で語るまでもなく「分かりきったこと」と思うかもしれない。しかし注目すべきは、皇帝自身が「暦の製作者ではない」と云うことだ。そこで改めて述べると、鯉冥士こそが「暦を作る者」であって、皇帝が持つべき「智剣」そのものなのである。よって其の「智剣が日本に渡って来た」ことに、本物語の核心が秘められている。

鯉冥士の物語 #72

鯉冥士が操龍仙に出逢った最初は、夜毬の夢中だったと思われる。その頃の記録によれば、龍子舞は神霊界の住者である。ところが同時代の他記には「詩依利(しえりー)は妖精と飛蛇を友にする女なりて、万里行を果す」と云うのがある。詩依利は龍子舞の本名で、万里行とは今風に表現すればテレポーテーションのようなものだ。敢えて推測するならば、万里行の原理は尊霊界への往来と同じなので、神霊が人間として実体化していたとも考えられる。

鯉冥士の物語 #071

時代考証は気にしない方針。了解していただけたことにする。とは云え、此処で明らかな杭を打っておく。既述ではあるが、其の杭は648年。つまり龍子舞仙女が来日した歳である。ところで彼女は、神霊扱いにされることが多い。しかし此の杭に立ったのは、正真正銘の人間である。つまり生きた人間の龍子舞が倭国にやってきたのだ。ここが重要なので念を押す所以だ。そして渡来した鯉冥士は、引き込まれるように龍子舞の滞在地へと向かったのである。