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12月, 2025の投稿を表示しています

鯉冥士の物語 #064(JT 00:01/11/08/2025 三蔵)

ある村の、一人の村人、その村人の祖母が、支那からの渡来人。この状況は、夜毬の夢では大きな出来事であった。何故なら「母になる予兆」だったからだ。そして村人の祖母は鯉冥の顔を見るなり「師は龍を操る方での、私が天命を果たすには、倭國へ渡れよと仰った」と語り始めた。 JT 00:01/11/08/2025 三蔵

鯉冥士の物語 #063(JT 00:01/29/07/2025 三蔵)

私の言葉が分かるのですか。と一人の村人に聞いた。「祖母に教えてもらいました」と返る。どうやら其の人の祖母は、支那からの渡来人のようだ。どんな方だったのでしょうね。と追問をしたら「会ってみますか。最近は家に居ますから」と云う。そこで鯉冥は何もかもが理解出来た。 JT 00:01/29/07/2025 三蔵

鯉冥士の物語 #062(JT 00:01/28/07/2025 三蔵)

鯉冥にとっての倭(やまと)は優しい国だった。道中、食物に困ることもなく、不思議なくらい快適だった。羽を持つ尊霊も時折すがたを見せる。この新世界を受け入れながら、日に日に馴染んで行った訳だが、そんな彼女を心底驚かせたことがある。自国語が通じる人に出逢うのだった。 JT 00:01/28/07/2025 三蔵

鯉冥士の物語 #061(JT 00:01/26/07/2025 三蔵)

手頭へ向かう2日目、曇天で暗かったが淡海は輝いていた。夢では畔で狗に乗った少年に会う。しかし現(うつつ)は誰にも遭わない。そこで鯉冥は夢の記憶を撫でた。見えぬ龍を追うにはどうすればよいのか「龍が動くと、ここは大雨になる。だから鳥が案内をするよ」と少年は言った。 JT 00:01/26/07/2025 三蔵

鯉冥士の物語 #060(JT 00:07/23/07/2025 三蔵)

鯉冥が渡来する航路は龍神が先導していた。故に、海が荒れても沈まなかったのだ。鯉冥自身も察知していたが、夢中で過ごした世界でも既に経験していた。夢現は必ずしも一致しないが、両視界に現れる龍神は誰かが操っている。上陸して七日後、何故か彼女は手頭(東北)へ向かった。 JT 00:07/23/07/2025 三蔵

鯉冥士の物語 #059(JT 00:02/21/07/2025 三蔵)

鯉冥が黄仙女の声を聞いた時「唐代は栄華を極めるが、悪鬼が蔓延(はびこ)りて震門を崩す」と覚った。震門とは日本を意味し「其処を護るのが我使命」と云う衝動を得たのである。そののち自国に危機を感じ、日本への渡来を決意した。令和7年7月20日現在、未だ流決されぬ過去也。 JT 00:02/21/07/2025 三蔵

鯉冥士の物語 #058(JT 00:01/16/07/2025 三蔵)

唐代初期の天文学はペルシャから礎を得た。鯉冥が学んだ文は、其れに従順であった。しかし論談は軈て、政治に媚び始める。それが鯉冥来日を後押したとも考えられる。ところで、彼女が乗った船を今は語れない。無闇に過去が変わるからだ。しかし龍神が其の船を迎えに来たと伝う。 JT 00:01/16/07/2025 三蔵

鯉冥士の物語 #057(JT 21:24/09/01/2025 三蔵)

唐は、天文学が充実した時代だった。鯉冥が操数術(数学)に優れた仙人に出会ったのは41歳の夏、名は不明だが術は伝わった。そして、それが飛躍したのは鯉冥が来日してからだった。天文学の進歩には操数術が必須だが、時杭論を明確にした因には、日本人学者の貢献があったようだ。 JT 21:24/09/01/2025 三蔵

鯉冥士の物語 #056(JT 01:05/05/01/2025 三蔵)

外伝にある鯉冥伝には、来日していた龍子舞と出会い「占星術について」語ったことになっている。そこで要になるのは「惑星が合になった位置」での音色(象意)の現れかた。混ざった音色にはならず、大音(外側の軌道惑星)が強調されて発現する。つまり惑星が並べば鎮(土星)が強い。 JT 01:05/05/01/2025 三蔵

鯉冥士の物語 #055(JT 13:03/26/12/2024 三蔵)

閏(うるう)を考える理は、陽陰の性質を見極めることから始める。「太陽は膨張故に自重して縮め、太陰は収束故に軽挙して延ばす。廿四の節は是を含みて閏を調用す」ここで重要なのは、廿四節気は一年を等分することである。よって「膨張した室分外壁」が、収束の境界を兼ねている。 JT 13:03/26/12/2024 三蔵

鯉冥士の物語 #054(JT 11:38/04/10/2024 三蔵)

遣唐使を廃止した底力は菅原道真公だと云われている。始まりは舒明(じょめい)天皇2年(630年)、舒明天皇の別称は高市天皇、天武の法脈を継いでいる。そして鯉冥は「その法脈を得た日本人」と接見している。その日本人が誰かは分からないが、その人との出会いが訪日の契機を造る。 JT 11:38/04/10/2024 三蔵

鯉冥士の物語 #053(JT 02:21/22/09/2024 三蔵)

現(うつつ)を想うならば夢から覚める。夢から覚めたならば、先ずは自分を探すことだ。これは龍子舞の言葉だが、今では鯉冥の口癖だ。六十歳の誕生日、その日は現に在った。一巡りを終えた鯉冥は、同じ巡りに戻ることになる。だが星の数を数え直せば、新たな巡りを見つけられる。 JT 02:21/22/09/2024 三蔵 解説(鯉冥士の物語 #053) 鯉冥の人生体験は概ね二種、夢と現である。ここでの「夢」は四魂の世界である第四を意味していることを御忘れなく。ところで占学を(科学的に)纏めた劉伯温(りゅうはくおん)先生が現れるのは明代、つまり鯉冥から観れば七百年ほど未来。その礎に六十干支の堅固な流決がある。 JT 11:45/22/09/2024 三蔵

鯉冥士の物語 #052(JT 01:28/23/05/2024 三蔵)

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十七歳の夏、時の感触を得た。転児(てんこ父)とも対等に話していた。「想いを胸に積めると時が遅くなる」と、鯉冥が云うに「陽と陰が合う波に乗れば芯が現れる」と、転児が返す。身緩(げんがん)は月の宮に宿るから、芯は大地に立つと良い。そして四十四歳、時杭の論は完成した。 JT 01:28/23/05/2024 三蔵 解説(鯉冥士の物語 #052)十七歳の鯉冥は父と「対等に話す」ことができた。それは鯉冥が天才だからと云う理由ではない。幼少の頃、夢の中で一生を過ごしたからである。よって「時杭里の理論」は、十代で既に完成していた。要は「世に出る為の機会」を待っていたのである。それが四十四歳の時なのだ。 JT 13:51/23/05/2024 三蔵

鯉冥士の物語 #051(JT 03:08/12/06/2023 三蔵)

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四十三歳の鯉冥「今は何時(いつ)だろう」と云う自問から、夜毬の夢を思い出した。夢中での四十三歳「ここでは月が在るから上手く今が決まる」と言っていた。想いが月に向かって、過去を観て、更に未来を感じて、そして現在の自分が居る。この理論が「時杭里」の骨子なのである。 JT 03:08/12/06/2023 三蔵

鯉冥士の物語 #050(JT 05:59/21/05/2023 三蔵)

四二歳の鯉冥は時折、白日夢を観る。その折は十八歳の自分も一緒だ。加令視さんも居て「猫の私は光と駆けっこするよ」と言うが、姿は人だ。そして「龍子舞様が人に鳴って青方の彼方に降りられた」と話してくれた。筒を使うと星を見付け安く、獣に鳴ると逢いたい人に会えるのだ。 JT 05:59/21/05/2023 三蔵

鯉冥士の物語 #049「別体」(JT 11:27/05/05/2023 三蔵)

三歳と四歳と五歳の鯉冥は、どのように呼ばれていたのか、本人の云う「もう一つの身体」の名とは。五十五歳になった鯉冥が言うには「陰波(かげなみ)と云う飛蛇族が上から降りて来たのです。そして隣景に居て、私を隠しました」そこでは、波毬(なまり)と呼ばれていたらしい。 JT 11:27/05/05/2023 三蔵 解説(鯉冥士の物語 #049)これは #014「二つの身体」の解答である。浮気童子談の記述から引用した。それが事実なら「神隠し」に遭っていたことになる。確かに三歳の時、行方不明になった伝えはある。但しそれは「一日だけ」だ。とりあえず今は、別世界で三年間分の時間を過ごしたことにしておこう。 JT 11:49/05/05/2023 三蔵

鯉冥師の物語 #48「星の隠連棒」(JT 22:17/07/04/2023 三蔵)

目にも色々ある。十八歳の鯉冥「星を観る時の私は、どの目で見ているのだろう」それまでの経験で知ったことは「星を数えている目は、眺めているだけの目とは違う」それが、数える人によって「星の数が違う理由」だった。数えた星は、数えた人に対して語りかけてくる。 JT 22:17/07/04/2023 三蔵